考え方

日経で先輩の対談記事を見て ~日本経済の再生に必要なことは?~

こんにちは、トモるです。

今日は、週末に読んだ新聞記事についてです。現在、日経新聞では、平成の30年~平成から次代へ~というで、平成30年間でどのようなことが起こったかを毎週土曜日に特集を組んでいます。

今週の特集は、「経済再生 試練の時代」というテーマで、平成の経済政策を担っていた元日銀総裁の福井さんとその孫世代である日本総合研究所副主任研究員の村瀬さんのそれぞれの日本経済をどう再生していくかの考え方を述べた記事です。

どうして、トモるがこの記事をブログの話題にしようと思ったのは、

・福井さんは、トモるの先輩である!

福井さんには、大変恐縮ですが、出身高校が一緒です。また。高校在学時代、ちょうど福井さんが日銀総裁をしていて当時、講演を一度聞いたことがあります。

・80代のおじいちゃんとその孫世代の考え方に根本的な違いがある!(当然である。)

この記事を読んでトモるが感じたこと、思ったことを皆さんにお伝えしたいと思います。

※記事が気になった方は、有料会員になってしまいますが日経電子版で記事を読むことが出来ます。

記事の内容は、それぞれの日本の経済の再生について述べているのですが、

福井さんは、「Japan As No.1」の時代を知っているので、それ以降どのように日本が変わっていったか。そして、その結果のゆがみで、社会保障の受益格差が世代で拡大しているということが問題だと、そのため、そのゆがみを直すには、設計当初の過程や条件を公表して、その条件が今とどの程度乖離があるかをみんなで議論して今の時代に沿った設計にすべきだと言われています。それは、数字での議論です。感情での理論ではありません。そして最後に、我々若い世代に対しての激励で、「会社に入る」のではなく、「社会で何をするか」をしっかり考えて行動をしてほしいと、そうすれば、もっと日本経済を再生できる若者が出てくるのではないかと締めくくっています。

記事の中で考えさせられ文章があったので引用したいと思います。

以下引用です。

平成の次の世代への期待は、「社会に出る」という意識を皆が明確にもってほしいということです。生涯通じて世の中でどんな役割を果たすのか。親も教師も社会も、子どもたちに自ら探すよう呼びかけていかなければなりません。

かつては高校、大学進学の際は、何のために行くのかと真剣に考えたものです。それが高度成長期のころから良い学校に行き大企業に入ること自体が目標になってしまいました。「社会に出る」が、いつの間にか「会社に入る」になってしまいました。

最近は一流の大学を卒業しても企業に就職せず起業する若い人が増えています。希望の持てる動きですが、日本の次の成功物語を創るにはまだスケールが小さい。世界へ向け飛躍する、最初から大きな発想を出発点にするよう仕向けられないでしょうか。

引用終わり

私、トモるは、まだ30数年しか生きていませんが、最初の文章は、福井さんの世代、福井さんの子供世代が出来なかった事を語っているのではないかと思います。戦後日本は、敗戦で、民間人を含む約200万人の人を失いました。その当時(昭和15年)(真珠湾攻撃が、昭和16年です。)の人口が7300万人です。人口の3%が亡くなったのです。おそらくほとんどの家族が、大切な人を失う経験をしたのだと思います。そしてみんなが悲しみに打ちしがれた状態だったでしょう。その中で、なぜあの人が死んで、自分は生かされたのだろうか?今の打ちしがれている自分を、亡くなった人はどう見ているだろうか?今の自分たちができることは何だろうか?と国民のほとんどが生かされた意味を強く意識したのだと思います。

そしてみんな気丈に、前を向くように努めたのだと思います。豊かになりたいと思って猛烈に働いた人もいたでしょう。会社という組織で、世界に経済戦争を仕掛けた人もいたでしょう。また、目指すべき目標(アメリア)がはっきりしている時代でもありました。目標に達成するために、みんなで同じ一つの目標を追いかけていけば良かった時代です。何も考えずとは言いすぎかもしれませんが、はっきりとした目標があったからこそ、その目標以外は悩まず猛烈にまい進出来たのではないかと思います。

その中で、自分の生き方、社会との接し方という事を気にせず進んできたのではないかと思います。そうやって、何も考えない考え方は、継承されていきます。そして、親、周りの人間は、子供に生き方を教えて来なかったのではないかと思います。高校になって、進路はどうすると言われても子供は、困るでしょう。それも無理はないです。なぜなら、そのような事を考えていないからです。

それを「社会にでる」ということを意識して教えていこうということです。とても大切ですが、なんでも手に入る社会で、社会に出る意義、生かされている意味を教えていくにはどうすればよいか、トモるにもわかりません。難しい問題です。

しかし、トモるが一つの答えだと思っているのが、「思いのバトン」です。

今の社会では、「思いのバトン」をもらう機会が昔と違って少ないのではないかと思います。人間は、生きている中で、色々な「思いのバトン」をもらいます。その「思いのバトン」を振り返ることで、自分は、周りの人々にもらった「思いのバトン」のお陰で生きてこれている、次の世代に「思いのバトン」を残していかないといけないと思うのように、今までは、親、と周りの親戚、大人が担っていた機会(「思いのバトン」を渡す)を社会全体で作っていかないいけないのではないかと思います。社会全体で、これからを担う子供たちに「思いのバトン」を渡していく、そういう取り組みが必要ではないかと思います。

一方、トモると同じ世代の村瀬さんは、バブルも経験していません。そして、低成長が当たり前で生きてきました。だから上の世代が言う高成長なんてしなくてもいいよと、また身の丈に合った方針を作るべきなのではないかと述べています。そして、「今までの、飲み会の初めの一杯はビール」のような見方で、若者を見ずに、色々な考え方はあって消費の仕方もいろいろある、全体で方向性を決めるだけでなく、個々のデーターをみて判断をしていく、多様的な考え方をしないといけないと述べています。

村瀬さんも福井さんも優秀な人達で、数字で日本の社会をどうしていくか、話を展開しています。しかし、トモるは、福井さんがいうように、「社会にでる」という考え方をしっかり教えていく事が大切だと思います。

世代で考え方は、異なりますが、自分の時代だけで良いと考えている人が多いと感じます。それだけ、日本人に心のゆとりがなくなっているかなと思います。昨今、大企業の不祥事も自分の代が良ければ良いと考えているのが原因だと思います。

心が亡くなると書いて「忙しい」と読みます。日本人はいつごろから、心を亡くしてしまったのでしょうか?トモるは忘れているだけだと思っています。

自分の心に手を当てて昔を思い出してほしいと思います。小さいころに渡された「思いのバトン」を思い出して、今の自分ができる「思いのバトン」の渡し方を探してみませんか?

トモるは、陰ながらこのブログでは皆さんに「思いのバトン」が渡せればと思います。

では、またブログで!